待つということ

金継ぎ教室でお配りしているテキストに
「待つ」ということについて少し触れています。

漆を扱い、本漆の金継ぎを始めた当初から大切にしている、
「待つ」ということ。


つい先日、
神奈川県立近代美術館分館にて開催されていた、
沖潤子さんの展覧会にて
大変心に響く文章に出会いました。

沖さん自身のメモが展示されていたコーナーにおいてです。
『待つ

待たないように待つことが
待つことの極意である

緊張して待機するというのと違って、
いわば等閑に待つのである

時が熟し、時節到来するのを
待たないようにして待つというのが
修行というものであろう。

訪れるもの よびかけくるものは
いつくるかわからない

その偶然に出会ったものが
実は会うべくして会ったもの
運命的に出会ったもの
ということをも含んでいる

そういう出会いのよろこびは
それを自身で味わったひとでないと
解しがたく 伝えがたいであろう


唐木順三著書「詩とデカダンス」』より


なんとなく、
鳴くまで待とうほととぎす
を連想しました。

時が熟し、時節が到来することを
待たないようにして待つ。

等閑に待つということについてですが、
ただぼーっとしているという意味ではなく、
その日に備えてやるべきことをやっておくということなのではないでしょうか。

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